愛知県民謡概観

愛知県には、どれくらい民謡があったかははっきり分からないが、2,600曲ほどが確認されています。私は、恵まれた自然環境の中で育まれてきた多くの民謡を、このまま埋もれさせてよいものかと思っています。その気になると、案外、珍しい曲に出会うことがあります。

愛知県と一口にいっても、昔は大きな川によって地域が分かれ、文化も異なっていました。木曽川は濃尾平野、矢作川は西三河平野、豊川は東三河平野、そして天竜川の三河山地に大きく分けることが出来ます。

濃尾平野の南部一帯は低湿地帯で、江戸時代には、築堤、分流、干拓工事が進められ新田村が作られました。このような工事には「地固め唄」「地搗唄」が歌われていたと思われます。また尾張西部では、機織などに関する民謡が一つの特徴であり、「糸紡唄」などが伝承されています。

もともと名古屋は、慶長14年、徳川家康の指示による清洲城の移転で、尾張那古野の築城と町の建設によって出来た都市であり、その運搬の作業の中で歌われたのが「木遣り唄」で、築城木遣りとして伝承しています。さらに名古屋周辺では、「笠踊り」「手拭踊り」「扇子踊り」など踊りの小道具が、呼名の唄として残っています。

「酒造り唄」は、昔から酒造りが盛んだった半田市周辺と蒲郡周辺で、酒造りの工程に伴う「米洗い」「仕込み唄」などとして数曲ほどあります。

岡崎市は三河花火の製造が伝承産業であり、その製造過程で歌われていた唄が、知多半島の知多市、半田市、東海市、阿久比町などにも伝承され、「花火唄」は行事や祭礼に花火が使用されるときに歌われている。岡崎市の「花火道行唄」、豊田市、足助の下山村では「花火おねり唄」、常滑市では「祝い花火の唄」があります。また岡崎市を中心とする西三河では、三河木綿などが知られており、明治以降はガラ紡績の発達が顕著となり「機織唄」が集中して伝承されています。

「馬方節」は、北設楽郡津具村に伝えられています。稲武町名倉を中心に名倉馬が数多く保有され、江戸中期から後期にかけて、飯田街道、金指街道などで賃稼ぎの馬方が海岸や平野部から信州などの山間部に物資を往来させる中馬の制度が盛んで、中馬街道という呼名があったように、その拠点は津具村でありました。また北設楽郡の町村では、現在も盆行事が行われ、「念仏踊り」等の伝統が伝承されております。名古屋周辺でも名東区高針で、加藤政次氏の調査によると昭和30年代に収録されていたことがわかり、江戸時代の長久手の合戦では150頭の馬が徴収された報告がある。

県内全域に「田植唄」「麦打唄」「麦刈唄」「粉碾唄」「米搗唄」「臼挽唄」「餅搗唄」「綿打唄」「茶摘唄」などがあり、平野部の稲作の多い地域では「田の草取唄」が多く分布しています。

「漁労唄」は、「艪漕唄」や「地曳網唄」などが、知多半島や渥美半島に残されています。

珍しい唄では、「雨乞い唄」が広範囲にあり、当時の農民にとって、雨は生死を左右する自然の恵みであったことがうかがえます。

信仰の唄としては、「山の神唄」が北設楽郡から南設楽郡に多く伝承されています。この唄と表裏をなす山の講にまつわる唄が西三河の知立市で見出されています。また豊作祈願と虫害の排除を願う唄も、尾西市や阿久比町にあります。

まとめとして、私たちの愛知県では、水系による芸能分布、民謡分布はとても重要な問題であり、念仏踊りの系譜は、天竜川水系を直上する地域の分布が特徴的です。民謡を大きく分けると、伊勢音頭の系統の「ザンザ節」「伊勢木遣唄」と、御獄山唄の潮流の「馬方節」「秋唄」「木遣唄」に見出されると思われます。

蟹江尾八 発掘民謡の解説

尾張米搗唄

木曽三川から流れる豊富な水に恵まれた濃尾平野は、肥沃な土地で稲作が古くから盛んであった。この地の農作業の労作唄が、民謡研究家の加藤政次著書「名古屋を中心とした俚謡集」の中に残されていた。
収穫した米を台唐(だいがら)と呼ばれる脱粒に使う踏み臼で、唐臼とも言われ、家の軒下などに設置し、この作業を行うときに歌われたと思われる。

新名古屋甚句

SPレコード収集家「岩田国保氏」所有のテープに録音した地元の新民謡から、穂積 久作詞、服部良一作曲、美ち奴の唄で残っていた。日本作曲家協会の重鎮の服部良一の民謡は珍しく興味を引くところである。まだ詳しいことはわからないが、曲想から二上り甚句の三味線の手を付けた。
美ち奴は、大正6(1917)年に生まれ、芸者歌手として活躍、服部良一の作品を数多く歌っている。後に昭和12(1937)年、サトウハチロー作詞、古賀政男の作曲による「うちの女房にゃ髭がある」が大ヒットで不動の人気を得た。

しゃちほこ音頭

名古屋城は、昭和20(1945)年5月に戦禍をうけて消失し、12年後に再建、復元した。その記念として、全国から「新名古屋城の歌」として歌詞を募集、西條八十が補作し、完成した唄である。昭和33(1958)年にコロムビアから出た。
須藤千香子作詞、西條八十補作、古賀政男作曲、唄は島倉千代子、伊東満である。
この地の言い伝えで、「金の鯱 水を吹く」、「またシャチをなぶらっせるで、水か出るぞ」と言われ、20年に一度の大水害が起きている。天守閣の改修工事と同じ周期なのでこんなことわざが生まれたと思われるが、因みに伊勢湾台風は、昭和34(1959)年9月26日のことである。

飛島音頭

飛島村は、木曽三川の下流、海中にあって、元禄6年(1693)に開拓されたことに始まり、西に筏川、東に日光川と豊かな自然環境に恵まれた田園地帯である。
また名古屋港の西玄関として開運も栄え、産業の発展が活発な村である。
この唄は、昭和55年(1980)平野哲也作詞、三波春夫作曲、振付けは藤間勘豊で三波春夫の子息で、ご当地民謡として生まれた。

蟹江尾八の採譜

  • 古谷の子守唄(愛知県尾張東部)
  • 平島糸繰唄(愛知県東海市)
  • 尾張馬方節(名古屋市名東区高針)
  • 高針粉碾唄(名古屋市名東区高針)
  • 高針田の草採唄(名古屋市名東区高針)
  • 高針炭坑節(名古屋市名東区高針)
  • 高針ポンプ押唄(名古屋市名東区高針)
  • ヤンサ(愛知県北設楽郡)
  • 豊浜須佐小唄(愛知県南知多町)
  • 堀川舟曵木遣り唄(名古屋市)
  • 稲沢しょんがいな(愛知県稲沢市)
  • 稲沢田の草採唄(愛知県稲沢)
  • 加家の粉碾唄(愛知県東海市)
  • 名古屋甚句 お彼岸参り 東下り 桑名船
  • ざい踊唄(名古屋市)